月を見上げる
今日は満月。いつから月が好きになったのだろう。優しくて、そっと見守ってくれている月が好きだ。
色んな形の月が好き。夕暮れ時に見える細くてにっこり笑ってくれている三日月。普段はいつも朝早く出勤するのでその時に見る下弦の月。十六夜(いざよい)という月の名前も響きがいいなと思う。
ドビュッシーの月の光という曲を聴くと、夜の海を照らす月の光を想像します。写真は山小屋で働いていた時に撮ったもので海ではないけど、雲海を照らす月の光があまりにも印象的でした。
「月が綺麗だよ」って直接伝えられたらどんなに素敵だろうと思うけれど、現実はそう上手くは出来ていない。心の奥底にその言葉をしまい込んで、月を見上げながら明日という日を待つのです。
見せたい景色
前回のブログの続きでもないんだけど、読み返してみるとこんなことを書きたかったのかな?と自分でもよく分からなくなる。実際に話す時もそうだけど、本当はこんなことを伝えたかったのに、と自分の言葉の足らなさに悲しくなってしまうことがある。
一緒に旅した人の話。実際に自分が書いていたブログ(文章)をそんなに褒めてもらうことなんてなかったし、私が撮った写真にも「この写真いいね」ってストレートに言ってもらうことなんてなかったからすごく嬉しくて。私が大事にしている言葉や写真を好きだと言ってくれたことが今でも励みになってると思う。
もう一緒に旅をすることは多分ないんだろうけど、私はもっともっとたくさんの場所に行ってたくさんの景色を見てカメラに収めて、これからも言葉を探し続けると思う。一緒に見たかった景色。行きたかった場所。シャッターを切りながら、心で想い続ける。ファインダー越しの私の世界。あなたに見せたい、見てほしい。
もし生まれ変わってまた一緒に旅をすることができるなら、色んな場所に行こう。私の住んだ街、あなたが過ごした街にも。
言葉を旅する
ブログを再開しようと思ったきっかけが、ある人と一緒に旅をしたことだと思う。以前書いていたブログを読んでもらって、その人は一緒に旅ができて嬉しいと言ってくれた。こういう文章や言葉を使う人と一緒に旅ができて嬉しいと。
昔に書いてたブログもそうだけど、書いている時の状況って直接自分の想いを聞いてもらえる相手がいない時かもなーって気づいた。日常的な会話は誰にでも話せるかもしれない。けれど今まで生きてきた背景とか自分の考え方とかについて話を聞いてくれる人って中々いないと思う。そもそも、そんなことを話したがる人が自分以外にいるのか分からないけれど。
伝えたいことはたくさんあるんだけど、友達とか家族でもなくて、とにかく誰かに聞いてもらいたい。誰の目に留まるか分からないブログに自分の想いを吐露する。少しだけ心が軽くなるような気がします。
このブログも私にとっては新たな旅に出たような感じなのかもしれないな。言葉を探して新たな景色を見て、自分なりの終着点を見つけに行くような。
お休みなさい。良い夢を
キャッチボール
今日1日過ごした中でブログのタイトルを5、6個思いついたので取り敢えず忘れないために箇条書きにしてみると
言葉を旅する 心、京都に非ず いい女になる 旅する目的 似た者同士
みたいなことを書いてみようかなと、夜風に当たりながら歩いている時に思い浮かぶ。結局、家に着く前に思い浮かんだタイトルで書いてみようかと。
以前に一緒だった人とよくキャッチボールをしたのを覚えてます。家の前だったり、わざわざ嵐山の方まで自転車で行って川辺でやったり。ボールがない時は新聞紙で作ったり。仕事が少ししんどくて休んだ日も近くの公園でやってたっけな。たったそれだけのことなのに何だかすごく懐かしくて、思わず涙が溢れました。
最近キャッチボールしてないな。少し前まで出来てたと思ってたんだけど、私の投げるボールが強すぎて色んな方向に飛んでいってしまった。そのボールが見つかるのか返ってくるのか分からないからモヤモヤしてる。もうちょっと上手くコントロール出来たら良かったのに。
明日のために
明日のために自分ができること。コーヒー豆から挽いて自分のためにコーヒーを淹れること。明日も頑張ろうと思えるような文章を書くこと。言葉を選ぶこと。
感情に任せて言葉を選べなかった自分が許せなくて悔しくてずっと引きずった状態で。苦しいからブログを再開したのも理由の一つ。心が軽くなる日なんて来るのか分からないけれど、とにかく思いをぶつけてみる。
心 今放て
photo by モクジン